『スタバではグランでを買え!―価格と生活の経済学』がメチャ売れ。
「値段から社会のしくみが見えてくる」というオビのコピー。
それにサブタイトルからわかるように、そんなに新味のある内容なの?という感じ。
むしろ地味。
スタバものも、ちょっと飽き飽き。
それなのに、それなのに。
ビジネス書編集者から見たら、うらやましい限りだ。
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スピリチュアルな人は努力がおキライい?
ベストセラー街道まっしぐらの『ザ・シークレット』。
『聖なる予言』の山川夫妻久々の真骨頂発揮という感じだ。
爆笑ツッコミネタ満載である。
思いは現実化する。
あなたの身に起こる良いことも悪いことも、あなたが「引き寄せ」たこと。
だから良いことだけを思い、宇宙にお願いし、それを信じよう。
そうすれば時間の長短があっても、かならず宇宙があなたの思いを現実化してくれる。
こんな「秘密」という名の戯言を、何人もの自称作家や「講演家」たちがしゃべり散らす、同タイトルのDVDの内容を本にしたもの。
これだけの物量を全米で売ったのだから、バックには相当力のある団体がついているのだろうか。
サブプライムは自己言及的バブル?
久々に株価暴落。
「サブプライム問題の先行きはもう見えたんじゃ?」という楽観論が高まっていた。
ここ1ヵ月くらいアメリカも日本も、まあ順調に上げてきた。
一昨日のG7が「打つ手なし」と声明したも同然なのがよくなかったかもしれない。
8月にサブプライムで暴落したとき言ったように、基本的に株はホールド方針。
だが、最近の楽観論に懐疑的だった私は、買値に戻ってきた銘柄はどんどん売り、ほぼ半分くらいに身軽にしてきた。
何とか堪え忍んでいるが、明日からどうなることか。
書店は瞬時に情報の歪みを除く市場だ。
『佐藤可士和の超整理術』を、広告代理店出身の編集者に薦めたら、こんな反応が返ってきた。
マーケッターは無色透明になろうとしている。
自分の好みを入れずに分析する。
対して編集者はマーケット分析すらせず、自分の好みで押し通す。
佐藤の本を編集論として読むのは無理があるのでは?
そうだろうか。
改めて書店というものを見てみよう。
今更ながら本の多さに驚く。
書店はまるで株式市場のようなものだ。
足りない情報は瞬時に充足され、株価に反映される。
消費者が足りないと考える本は瞬時に書店に充足される。
たとえマーケット分析すらしない強引な企画であっても、何人もの著者や編集者の活動を通して、それらは消費者が足りない情報を満たしていく。
結果として、マーケッターが考える読書市場を実現する。
マーケッターと編集者は、まったく異なるアプローチで、同じ結果を作り出すのだ。
だから、この本を編集論として読むのは可能なのだと思う。
ビジネス書はネジである。
『佐藤可士和の超整理術』の中に、ユニクロの話が出てくる。
ユニクロのニューヨーク旗艦店のADを依頼された。
それで柳井会長にヒアリングをしたとき、感銘を受けた言葉があった、という。
「服は服装の部品です」
ユニクロは部品(パーツ)としての服を作り、それを客が自由に組み合わせるのだ、という。
この箇所でも目からうろこが落ちました。
トータルファッションではなくパーツ。
だからユニクロは同じアイテムに圧倒的なカラーバリエーションを備える。
昔の鉄道模型ファンからすると、ユニクロのあの品揃えが、部品を圧倒的な物量感で陳列する模型店のように見えたのは、そのせいなのかもしれない。
プロの仕事を視覚化した本『佐藤可士和の超整理術』
元博報堂のクリエイター。
日経系の雑誌などを通じて、「とにかく仕事ができる人」としての認知度抜群。
…なんてことはわかっていたが、ビジネス書編集者としては、
「やられた!」
の一言だ。
これ、いい本である。
プロとして日頃やっていることを言語化しているので、ものすごくリアリティがある。
というか、エラそうに言えば、小生だってやっているようなことなのだ。
この著者にとってのクライアントが、私にとっては著者。
だから、
「大切なのは相手の思いを整理すること」
「整理するには客観的な視点が不可欠」
「思考回路の整理をきっちり行うようにしたら、あいまいな部分がどんどん消えていく」
「問題の本質を突き止めることとは、プライオリティをつけること」
「他人事を自分事にする」
「問題解決の手がかりは必ず対象の中にある」
といった主張は、むしろ当たり前のようにやっている。
しかし、こういうふうに視覚化してはこなかった。
それが新鮮なのだ。
デザインとは整理である、と著者は言う。
デザインを編集に置き換えても、この本の内容は成り立つ。
編集も、整理である。
iPodに何入れてます?
私の場合、いちおう英語学習コンテンツのポッドキャストをダウンロードして入れている。
以前はCNNニュースのダイジェストを入れていたが、早過ぎてまったくついていけない。
なので最近は、BBCの、ちゃんとした学習ものにしている。
といっても聞き流しているだけで、何の足しにもなっていない。
だいいち、使う場面がないし。
しかし最近のように長い長い校了作業が続くと、語学は安倍ちゃん状態キャパオーバー。
こういうときはクラシックのつまみ食いをする。
ベートーヴェンの「運命」第四楽章とか、マーラーの「巨人」第四楽章とか。
こういう煽り系を、地下鉄に乗りながら、道を歩きながら、がんがん鳴らす。
なんか最近、こういうことでしか休息できない。
やっぱり、ちょうど忙しい時期の4週間に3回も3連休があると、しわ寄せが大きい。
いくらこっちが土日祝日に懸命に働いても、印刷所が休みでは、結局押せ押せ。
こうしてどうでもいいネタを書いて深夜に気晴らししてないと、身が持ちませんね。
さてそれでは仕事に戻ります。
やっぱりダメだった安倍ちゃんと、意外とよかったサッカーU22
9月12日。
いやあ驚いた。
わずか2週間前に新大臣と党新役員を指名し、ブッシュと首脳会談をし、国会で所信表明演説をしたばかりの総理大臣が、辞めるというのだから。
そして午後2時の会見で、もっと驚いた。
「だって小沢クンが会ってくれないんだもん」
「アメリカ先輩に約束したから怒られるんだもん」
「ボクのせいじゃないもん」
そんなふうに言っているとしか思えない。
日本の会社の好業績って、つまり円安が作った幻ってこと?
株の世界同時暴落が止まらない。
今日はとうとう日経平均が870円も下げた。
こんな解釈不能なパニック相場、昨年のライブドアショックよりもすごい。
お金のほとんどを株で運用しているぼくは、毎日毎日船酔い状態である。
以下はシロウト談義であることを予めお断りしておく。
2週間くらい前だったかに米国の低所得者向け住宅ローンの焦げ付きが市場で表面化した。
もっともこれ自体は、昨年冬、FRB議長がグリーンスパンからバーナンキに交代したとき、マエストロと賞賛されたグリーンスパンの負の遺産と言われ続けてきた問題だ。
だからリスク自体は市場の専門家はわかっていたはず。
市場がこのリスクを織り込まないのをいいことに投資家は知らんふりしていたけど、それももう限界ということなのかもしれない。
「私の国造り」のための「私の内閣」の瓦解……
「私の国造りはまだ半ば」
「私の内閣でなしとげる」
安倍晋三の、とくにこの参議院選で多く語られた言葉だ。
議院内閣制なのだから、「私」とは結局「国民の代表」と言えるのかもしれない。
しかし、どうにも気に入らない。
と思っていたら、29日の開票特番で、大嫌いな田中眞紀子が同じ指摘をしていた。
これもこれで気に入らない。
安倍側近たちは告示前、今回の選挙を「圧勝」と予想していた。
そういう調査結果が自民党に報告されたといわれる。
しかし、その後に起きた久間と赤城問題がヒドかった。
あの2人が自民党にとっては戦犯になったと思う。
最後は、前にも書いた小沢一郎の持つオーラがものを言った。
小沢は格差是正を訴えるが、その具体策はかなりトンデモである。
しかし小泉が得意だったワンフレーズ劇場を、小沢一郎が起こしたように見えた。