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「取りに行けよ!なんで止まってるんだよ!…やってることやらないと」

アジアカップ@ハノイ、サウジアラビア戦。
客が少なかったせいか、珍しくピッチの選手の声が鮮明にテレビで聞こえた。
まだスコアレスの前半24分、サウジが右CKから上げた山なりクロス。
川口能活が手ではじいたボールは反対サイドに意外とゆっくり転がる。
しかしゴール前を固めた日本選手の誰一人、そのボールを取りに行かない。
取らなければサウジのスローインになるし、取ればカウンターのチャンスだ。
それを足を止めて見送る選手たちに川口が激しく指示した言葉が「取りに行けよ!」。

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カイザースラウテルンの惨劇から1年経って

7月21日、アジアカップ準々決勝@ハノイ。
あの惨劇から1年過ぎてのオーストラリア戦。
オーストラリアにPK戦に持ち込まれたけれど、勝った。
1年以上引きずったモヤモヤした感じが、ようやく癒えていくように感じた。
今大会、他の強豪チームの試合もぽつぽつ見ると、韓国はなんとか粘って勝っている感じで、とてもワールドカップ4位になったことがある国とは思えない。
イランは中心選手が冴えず、両チームが戦った22日の準々決勝は、悪夢のような凡戦だった。
22日のもうひとつの準々決勝、サウジアラビア対ウズベキスタンは、見せ場があった。
ウズベクは本当に惜しかったが、サウジのここ一発の決定力が効いた。

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イフ 歌舞伎町で起きた奇跡の物語

昨晩、久しぶりに歌舞伎町ゴールデン街の店「イフ」に行った。
いつの間にか開店3年目になった。
2004年10月にオープンした頃は、ママの元からの知り合いしか客がいなかった。
やっていけるのかなあ、と正直思った。
しかしママ紀江さんの前向きな人柄が男女ともにウケたのだろう。
ママを好きな女性客が多く常連になったことが成功の秘訣かもしれない。
新しい客がどんどん増えて、ぼくら昔なじみは最近ちょっと片隅に追いやられ気味。
開店した当時、まだ真新しいカウンターに座って呑んでいたとき。
たまたま隣に、通信社の東京特派員という人がいて、思いついたのが「イフ」という小説だ。
自分を諜報員と思い込み、世の中すべてをそういう視点でしか見られない。
しかしなぜか、そのカン違いが人の心の真実のもっとも近いところにたどり着く。
誰よりもいい加減でダメそうな探偵や刑事が、誰よりも正確に犯人を見抜く。
そういうパターンの海外ミステリーがある。
もっとも難しい書き方だと言う人もいる。
それを一応はめざしたつもり><;
沢崎という名前はもちろん、原りょうの探偵小説の主人公へのオマージュ。
今のところ第一話から第四話まである。
もう3年から2年近く前に書いたものだけど、もしよければ読んでください。

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オシムを総理大臣に!

……なんて夢想する人は他にいないだろうか。
7月1日。
テレビ各局、新聞各紙で取り上げられた、民間初の対決型党首討論。
ぼくはナマで見ていた。
小沢一郎の政治家としての言動は、いかにも古い。
他の野党党首とゴルフ会談したり、国会に出ず地方回りしたり。
まるで自民党旧経世会の亡霊のようだ。
しかも民主党の党首という立場に押し込まれ、物言いが不自由になっているように感じられる。
それでもまだ、彼には語るべき何かがあり、オーラがあった。
安倍晋三は自民党政治家としては、明らかにニュータイプだ。
宮崎哲弥も7月1日付朝日新聞で言っていたが、小泉純一郎さえできなかった、霞ヶ関の本丸・財務省との対決を本気でやろうとしているように見える。
しかし、ナマの安倍にはオーラが漂わない。
哲学を語らず、行政の長としてのソリューションを淡々と語る。
安倍も小沢も物足りない。
もちろん他の野党党首は論外。
この二人から選べって、二大政党制って、こんなもん?
胸を打つリーダーはいないのか?

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「お疲れさま」って言うな!

いま職場でもっともよく耳にする言葉。
それが「お疲れさま」だ。
部員たちは朝来ると「お疲れさまです」。
電話をかけても「もしもし、○○です、お疲れさまです」。
電話を取っても相手が知り合いだと、「どうも、お疲れさまです」。
バイトの女性にいたっては、エレベーターの中で会うたびに「お疲れさまです」。
疲れてないって。
「おはよう」「こんにちは」でいいではないか。
もちろん、そういう意味で使っているのはわかる。
「疲れてますねー」と言ってるわけではないんだろう。
どうしてこれが違和感ないビジネスマナーとして使われるのか。
「おはよう」「こんにちは」よりも相手との距離感が保てるからかもしれない。
若いバイトの女性がおじさんに向かって「お疲れさまです」なら誤解されない。
にっこり笑って「こんにちは」は危険な感じ。
私たちはビジネス上の付き合いなの。
異性同士でも同性同士でも、防御策として使える挨拶ということか。
でも、生理的にぼくは受け付けられない。
だいたい家から会社に朝来ただけなのに「お疲れさま」はないだろう。
「お疲れさまです」を間違ったビジネスマナーとして撲滅したいのだが、どうだろう。

クリエイティブの現場に近いのは?

ある映画業界の人とこんな話をした。
最近の映画館のスクリーンは、テレビドラマで埋まっている。
映画会社はテレビ局と組んで、テレビドラマのように映画を作っていく。
そのため映画会社は自分で映画が作れなくなった。
映画スターも脚本家も育てられなくなった、と。
しかし出版社にいるぼくから見ると、最近のテレビドラマのほとんどは原作もの。
最近のテレビ画面は、出版社がつくる漫画や小説で埋まっている。
テレビ局だって自分で原作が作れず、脚本家も育てられなくなっていはしないか。
ということは、出版社がいちばんクリエイターに近いのだ。
最近は雑誌の売れ行きが壊滅状態で、本も売れない。
読者はネットに行ってしまった。
出版社なんて、こんなに長時間働いても黒字にならなくて、なんのためにあるの?
などと、つい自分を見失うときもあったが、改めてその役割がわかった気がする。
クリエイティブな才能に最初に立会い、育てるのは、出版社の役割なのだ、と。

再見

皆さん、お元気ですか。
個人的にいろんなことが起きるきっかけとなった、このBsafari。
また、キリンのロゴといっしょに戻ってきた。
死んだ人の日記がウェブ空間に残っているいっぽうで、一度は消えたものが形を変えて戻ってくる。
永遠に帰ってこない時間があるいっぽうで、進みすぎたところから戻ってくる時間もある。
Bsafariを閉じた、あのときのぼくはもういない。
あのころより今のほうが、はるかに感傷的になっている。
あのころよりはるかに世の中の出来事や人々の行動に驚かなくなっている。
にもかかわらず、はるかに人の気持ちの深さに驚くようになっている。
もちろん、たったここ数年でいろいろなことが理解できるようになったわけもない。
でも、歳を取ることを肯定的に考えると、その楽しみのひとつは歴史家の目に近づくことだと思う。
たとえほんの少しではあっても。
以前にこのBsafariを見たことがある人のうち、何人が見ているのかは見当もつかない。
でもまあ、しかし。
また見てやってください。