ある映画業界の人とこんな話をした。
最近の映画館のスクリーンは、テレビドラマで埋まっている。
映画会社はテレビ局と組んで、テレビドラマのように映画を作っていく。
そのため映画会社は自分で映画が作れなくなった。
映画スターも脚本家も育てられなくなった、と。
しかし出版社にいるぼくから見ると、最近のテレビドラマのほとんどは原作もの。
最近のテレビ画面は、出版社がつくる漫画や小説で埋まっている。
テレビ局だって自分で原作が作れず、脚本家も育てられなくなっていはしないか。
ということは、出版社がいちばんクリエイターに近いのだ。
最近は雑誌の売れ行きが壊滅状態で、本も売れない。
読者はネットに行ってしまった。
出版社なんて、こんなに長時間働いても黒字にならなくて、なんのためにあるの?
などと、つい自分を見失うときもあったが、改めてその役割がわかった気がする。
クリエイティブな才能に最初に立会い、育てるのは、出版社の役割なのだ、と。
月別アーカイブ: 2007年5月
再見
皆さん、お元気ですか。
個人的にいろんなことが起きるきっかけとなった、このBsafari。
また、キリンのロゴといっしょに戻ってきた。
死んだ人の日記がウェブ空間に残っているいっぽうで、一度は消えたものが形を変えて戻ってくる。
永遠に帰ってこない時間があるいっぽうで、進みすぎたところから戻ってくる時間もある。
Bsafariを閉じた、あのときのぼくはもういない。
あのころより今のほうが、はるかに感傷的になっている。
あのころよりはるかに世の中の出来事や人々の行動に驚かなくなっている。
にもかかわらず、はるかに人の気持ちの深さに驚くようになっている。
もちろん、たったここ数年でいろいろなことが理解できるようになったわけもない。
でも、歳を取ることを肯定的に考えると、その楽しみのひとつは歴史家の目に近づくことだと思う。
たとえほんの少しではあっても。
以前にこのBsafariを見たことがある人のうち、何人が見ているのかは見当もつかない。
でもまあ、しかし。
また見てやってください。
紅一点論 ~企業組織のエヴァ的崩壊~
今年のゴールデンウイークは長かった。特段予定もないのに、5月1日と2日を休みにしたもんだから、9連休になってしまい(って、自分でそうしたんだが)、PDCAを回すことがかなわず(って、そもそもPがないよ)、毎朝やることがなくて往生しました。
こんな時には、こんな本、でしょう。
斎藤美奈子。しかも、『紅一点論』の文庫版。斎藤美奈子は、再読に耐えるんですよね、最近の物書きには珍しく。
『紅一点論』は、アニメや児童向けの伝記を、チームの中の紅一点の数、というところに着目して分析を行った、表象批評の名著。ほら、ウルトラマンの科学特捜隊も、ウルトラセブンのウルトラ警備隊も、女性隊員はひとりぽっち、つまり紅一点でしたよね。実に着眼点がいいですね。
さて、ウルトラマンの世界は斎藤女史曰く、戦争ばかりしている「男の子の国」の論理につらぬかれた、差別的なそれなんですが、対するに魔法使いサリーの日常はこれまた非科学的な魔法が跳梁跋扈する「女の子の国」です。それが、『機動戦士ガンダム』になると、論理が曖昧になってゆき、ついには『エヴァンゲリオン』になると、”腐った家族の世界”に到達します。なぜなら、男女の数の比率のバランスが崩れてくるから。。。
Bsafari Blogを開始
1年10ヶ月ぶりにBsafariを再開しました。今度は、Blog形式で復活です。
思い起こせば、Bsafariでさかんに活動している間は、小泉政権の時代でしたが、サイト休眠のあいだに安倍政権に変わっていました。のみならず、フランスではシラクに代わってサルコジが大統領になり、イギリスでは長期政権を誇ったブレアがついに自らの地位を投げ出しました。
ドイツのメルケル首相は、今年のサミットで、みずからの看板である、環境を前面に打ち出したサミットを自国で開催しようとしています。
・・・と、ことほど左様に世界の政治の地図は大きく塗り替えられようとしています。
しかるに国内では、あんなにさかんに論じられていた、郵政民営化を核とした小泉「改革」も、今では誰もが忘れたかのように言葉にも上せません。日本人は、実に忘れっぽい国民なのでしょう。
今話題なのは、格差であり、ひらたく言えば、平成不況を脱した日本が、いまいちど富の再分配を議論し始めたということです。不況の真っ最中は、多少の痛みを伴っても「改革」すべきで論調が一致していたのに、実に現金なものです。
とはいえ、しばらく間が空いてしまいましたので、草原を遊弋するキリンのように、首をめいっぱい伸ばして、同時代を観察することから始めようと思います。
乞うご期待!