ビジネスマンのためのヘーゲル

唐突だが、これから「ビジネスマンのメタフィジック」とかいうコラムを連載したいと思う。ビジネスマンに役立つ哲学話を、書きついでゆく目論見だ。メタフィジック、というのは形而上学のこと。平たく言えば、哲学だ。”ビジネスマンの哲学”、などとすると、経営哲学とかいう言葉と勘違いされそうなので、メタフィジック、としたわけだが、それはともかく。。。
まず始めは、ヘーゲルだ。ヘーゲル? 今の時代に? と思われる向きもあるだろう。私も最初はそう思った。デリダとか、フーコーとか、はたまたドゥルーズとか、そういうのが今の哲学なのだろうけれど、最初が肝心なのだ。メタフィジックの帝王は、ヘーゲルだから。
故池田晶子さんも、ヘーゲルがお好きなようであった。もっとも、池田さんのヘーゲルは、ヘーゲル以上に難解だったけれど(などと言うと、草葉の陰から叱られそうだが)。
私からすると、ヘーゲルを引いて話す人は、まるでヘーゲルのことなどわかっていないのだ(などと大きく出ていいのかいな)。


最近、NHKの番組「プロフェッショナル」に登場した、キリンの飲料の開発チームのリーダー、佐藤章氏は、「リーダーとしてもっとも大事なことは?」と司会の茂木健一郎に問われて、答えている。曰く「正反合」である、と。「正反合」とはなにか。佐藤氏によれば、ひとつのものごとを正とすると、次には反を考える。まったく隔たったふたつをぶつけて、合を得る。さらにこの合を反とぶつけて、新しい合を得る。この過程が大事なのである、ということだ。
佐藤氏は、ヘーゲルだ、と言う。キリンの飲料、「Fire」とか「生茶」とかは、弁証法で開発されていたのか! われ、見つけたり!(ユーリカ!)・・・しかし、正反合とはね。企業の開発者ともなると、限りない進歩史観なのだろう。いや、まてよ、「歴史の終わり」になったりはしないのかな。
というわけで、佐藤氏はすごいヒットメーカーだけれど、彼の「正反合」はそのまま使えはしない。
池田晶子さんのヘーゲルはというと、「晦渋な言語表現の向こうに、その「考え」を透視する術、これがヘーゲル読みの極意である」とのことだ。「やがて心地よいリズム、明快な足取りで、彼の思考に伴奏している自分の思考に気づくだろう」(『考える人』)とのこと。そう簡単にゆくのかな。エッセイではないのだから、リズムに乗っても、ロジックは理解不能だろう。
では、あなたにとってのヘーゲルとは? との問いに、こう答える。私にとって、一番大事なヘーゲルは、『精神現象学』に出てくる、主人と奴隷の論理である。弁証法の応用編だ。
主人と奴隷の論理とはなにか。ここに一組の主人と奴隷がいる。主人は、奴隷に対して絶対的な権力を振るい、奴隷に対して生殺与奪の力を持っている。奴隷のほうは、主人に対して限りない恐れを意識し、承認されることのみによって存在するわけである。
が、そうはいっても、時が経てば、奴隷もただの奴隷のままではなくなる。否、むしろ、奴隷がやがて、主人をも打ち倒す力を得るのである。つまり、やがて奴隷は、労働を通じた奉仕と服従の訓練ののちに、力を形成し、今や奴隷の労働に依存しきった主人を打ち倒す日が来る。ヘーゲルはこのことを「自己を、自己自身で再発見することによって固有の意味が労働のうちに生まれる」と表現している(『精神現象学』樫山欽四郎訳)。
ひらたくいえば、厳しい上司のもとで、半端でない労働訓練を経た者のみが、やがて上司をはるかに凌駕した力を得て、主人となるのである。これが中途半端だと、成就しないということは、ヘーゲルが何度も強調している。
曰く「奉仕と服従の訓練がなければ、恐れはいつまでも形式的なものに止まり、定在の意識された現実性にはひろがらない」つまり、上司に叱られて、少しばかり怖い思いをしても、それが腹に落ちないと、彼、つまり奴隷の意識変革は起きないのである。アルティメイト・クラッシュのダメージを受けたものでないと、立ち上がれないのだ。これをヘーゲルは「解体」と表現する。
「解体」的危機を経た後に、奴隷(というのは言いすぎだが)の地位に甘んじていたビジネスマンは立ち上がるのである。これが主人と奴隷の論理であり、ヘーゲル弁証法の白眉である。まあ、「歴史の終わり」も大事だけれど、終わってしまってはしかたがないからね。まずは、主人を打ち倒すために、労働があるのだ、とそのことは銘記したい。
というわけで、ビジネスマン諸君は、『精神現象学』は読まなくていいけれど、主人と奴隷の論理だけは、記憶にとどめておいて欲しいのだなあ。
弁証法を無理やり現実に当てはめるのはナンセンスであるけれど、主客逆転の理屈を、弁証法で鮮やかに説明して見せたヘーゲルの手腕は、今の時代にも十分通じるだろう、というのが第一回の話である。
それではまた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です