沈丁花の季節

沈丁花の花が咲く季節には、宮仕えはなんとなく落ち着かない。ちょうど国会議員の先生方が、サミット後の来るべき総選挙を前に、そわそわして落ち着かないのといっしょである。
沈丁花の花咲く頃は、人事の季節だ。
人事には、多少のサプライズがないと組織が弛緩してしまう。そうでなくても昨今では年功序列は分が悪いので、現代のサラリーマンは、はらはらどきどきの時期だろう。中には、酒を浴びると口がすべる幹部もいたりして、あらぬ噂が流れたりもする。
ペシミストはあまり期待もしていないけれど、もしかしたら、と期待と不安が交錯する。オプティミストは今に俺の番だ、と毎年期待するけれど、はずれても笑い飛ばしていい気持ちで職場を去ってゆく(内心はがっかりなんだけれど)。


・・・と、そんな善人ばかりの会社はない。現に、中桐雅夫の有名な詩、「会社の人事」には、「日本中、会社ばかりだから、飲み屋の話も人事のことばかり。」というフレーズが出てくる。あげく「酔いがさめてきて寂しくなる、たばこの空箱や小石をけとばしてみる。」という寂しい詩句がつづくのだ。
いや、たばこの空き箱をけとばしているぐらいなら可愛いが、中にはほんとうに根回ししてみたり、人の足を引っ張ってみたりと、つまらないことに血道をあげる輩が横行するのがこの季節の常だろう。
金曜の夜、もう夜中の12時を回っていたけれど、電車が二回も立ち往生した。駅のホームで、30分も動かないのである。アナウンスで、「お客様同士のトラブルで、停車しております」と言っていた。
トラブルとは、電車内での喧嘩のことだろう。走り出した電車からホームを見てみたら、鉄道公安官に取り囲まれたサラリーマンが、床にしゃがみこんでいた。
酒が入れば、この時期、喧嘩のひとつもしたくなるサラリーマンが出てきてもおかしくはない。一滴も酒を口にしていない私にとって、いや、電車の乗客みんなにとって、大迷惑だったけれど。それに電車を止めたら、損害賠償請求が半端ではないであろうに。。。
中桐雅夫は、「子供のころには見る夢があったのに 会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。」と嘆いてみせる。
そうそう、子供の頃の夢もすっかり忘れていた。そもそも、あの夢はいつごろ消えたのだろうか。ふと考える。たしか、会社に入りたての頃は、捨てていなかったような気もするが。。。
そんな大人にならないようにと、宮沢賢治はかつて「生徒諸君に寄せる」という詩で、中等学校生徒諸君に向けて、こう言った。
 宙宇は絶えずわれらによって変化する
 誰が誰よりどうだとか
 誰の仕事がどうしたとか
 そんなことを言ってゐるひまがあるか
そうか、われらのちっぽけな活動ひとつでも、宙宇は変化するのか知らん。
そういえば、サブプライム・ローンだって、ささやかに生きるひとりひとりの行動が、北京の蝶々のはばたきのように、アメリカ全土を、いや世界を揺るがしているのである。
ならば今日からでも遅くはないかもしれない!
などと、沈丁花の花咲く季節に思うのである。

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