『坂の上の雲』のブログライター

『坂の上の雲』の第二部が始まり、地上波デジタルの映像を録画して見始めた。録画しないと見逃してしまうので。
実は、第一部を何の気なしに見始めたら、NHKのあまりの力の入れように圧倒され、最後のほうはきちんと時間どおりに鑑賞していたのだが、解説を読むと3年に渡り毎年の年末に放送するというので、これまた驚いていたのである。大河ドラマ以上に、大金を投入して作っていて、低予算で作るミニ映画などを金額ではるかに上回っているだろう。
無論、司馬遼太郎の原作は大昔に読んでいた。しかし、あの作品は格好だけはそうであるけれど、小説として完全に破綻していると思う。その証拠に、作者・司馬氏自身が作中に解説者として顔を出し、「この小説は破綻して云々」と書き付けている始末である。もしかしたら、ヌーボーロマンのつもりであったのかもしれないが。


さて、あのドラマの観客の大半は、阿部寛の秋山好古か、本木雅弘の真之のファンなのであろう。ふたりとも、現代日本を代表する男前の俳優だ。軍服姿も凛々しいばかりである。
真之などは、煎り豆を食いながら作戦を練る姿さえカッコいいし、好古などは小説にもそう出ているけれど、大酒のみの豪傑ぶりがこれまたいい感じである。
・・・が、私は秋山兄弟にはあまり興味などないのである。
兄弟の幼なじみであった、香川照之演じる正岡子規がいい。この人、大河の『竜馬伝』では、悪役で嫌われ役の岩崎弥太郎を演じていたけれど、ちょっとオーバーアクション気味でお世辞にもうまいとは思えなかった。が、子規の役は、はまっていた。香川自身が秀才だからかもしれない。
それにまた、妹役の菅野美穂がいい。子規の妹がどういう人だったかはあまり知らないけれど、菅野美穂のファンなのですね、私は。
さて、子規ときたら、俳句もいいけど、読むべきはあの随筆だ。
傑作『墨汁一滴』の冒頭は、正月の文章で下記のように書いてある。
「この地球儀は二十世紀の年玉なりとて鼠骨の贈りくれたるなり。直径三寸の地球をつくづくと見てあればいささかながら日本の国も特別に赤くそめられてあり。台湾の下には新日本と記したり。朝鮮満州吉林黒竜江などは紫色の内にあれど北京とも天津とも書きたる処無きは余りに心細き思ひせらる。二十世紀末の地球儀はこの赤き色と紫色との如何に変わりてあらんか、そは二十世紀初の地球儀の知る所に非ず。」
いかがだろうか。簡潔な筆で、当時、日清戦争後の日本の政治状況を過去・現在・未来を見通して記していることに驚くばかりではないだろうか。
子規は、二十世紀末の地球儀の色配分が大きく変わることを、感じていたのだろう。
それに重い病で寝たきりであった子規は、随筆と言っても長い文章は書けなかった。そのため、文章は今でいうブログの短い文章か、ツイッターのつぶやきに近いものになっていた。
のみならず、随筆は新聞に連載していたので、食い物や草花のことなど、身辺雑記を書いて読者を飽きさせない文章を書き続けていた。
子規という人は、日本に外国の野球を輸入しただけでなく、現代に通じる随筆作者(=ブログライター)としても先覚者だったのだろう。
子規がいなくなってしまったので、『坂の上の雲』もいよいよ本格的に日露戦争の話になってしまうのだけれど、日本海海戦の奇蹟などどうでもよいので、菅野美穂の出番だけは多くしてもらいたいものだ、ファンとしては。

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