夏の思い出

選挙期間中は、特定の候補について、あれこれと書くわけにはゆかないので自粛していたが、やっと終わったので、書くことにしよう。
やはりというか、当然というべきか、民主党の地滑り的大勝で幕を閉じた、2009年の衆院選。終わってみれば、いつか体験した感覚が甦ってきた。たしか、最近のことだったと思い返せば、2005年の9月、郵政選挙での自民党の圧勝のあとの感覚と同じだ。
日本の政治はマトモだ、というほっとした感覚。


あのとき、郵政民営化法案が参院で否決され、小泉首相(当時)の解散への閣議決定の文書に、麻生総務相(当時)は最後まで署名を拒否していたのだった。だから、麻生が首相になったとき、国民からは、郵政民営化に象徴される改革に反対する、反動派のイメージをもたれていたのは当然だ。自民党を大勝させた国民が、4年後に民主党に鞍替えしたのは、改革を逆行させようとする輩に反対する、ということでは筋が通っているのである。
それなのに、麻生首相は景気の悪化を、行過ぎた改革の負の側面が出た、などと言うモノだから、国民は大いに失望してしまったのだ。
とはいえ、敗北した自民党の戦犯は、第1には小泉からバトンタッチされた政権を1年で投げ出した安倍晋三と、さらにバトンタッチを受けたにも関わらず1年で放り投げた福田康夫だろう。これでもう、「自民党はやる気なし」のレッテルを貼られてしまったのだ。
ほんとうは、さらにここでバトンを受けた麻生首相が、ただちに衆院解散、総選挙に打って出れば、これほどの大敗はなかったはずだった。躊躇しているうちに、ずるずると人気は下降線に入り、中川昭一のへべれけG7会見が決定打になって、マイナスイメージは雪だるま式に膨らんでしまった。
麻生首相の漢字の誤読なんてのは、人気がありさえすれば、ご愛嬌で済んだかもしれないのに・・・。
・・・と書いてゆくと、今回の総選挙は負けるべくして負けた選挙といっていいだろう。無論、勝った民主党には、選挙巧者の小沢一郎代表代行が控えていたとはいえ。
8月30日の日曜日の夜、予想したとおりの光景が、テレビ画面に映し出されている中、NHKの開票番組で、民主党の開票センターにいちはやく入った小沢一郎にインタビューがあった。記者の質問に、小沢一郎は、まだ開票が終わらない段階で、何も言えない、をくり返した。また、NHKの記者が、小沢系議員の数が増えることが懸念される向きもあると水を向けると、むっとした顔で「そういうレベルでしか政治を見ないのが、マスコミの問題だ」と語気を荒らげた。(これから組閣に入ろうという状況で、強面の本性剥き出しで、インタビューに答えるのはいかがなものか、と多少は思ったが)
いつもそうだが、この人は、わりと感情を露わにするのである。だから、必ずしも国民に人気が出るタイプの政治家ではなく、強面のイメージをもたれてしまうのだ。
小泉自民を圧勝させ、その後の参院選で民主を躍進させ、今回の衆院選では民主党が政権交代を果たした日本政治は、大いなる迷走を続けているように見える。小泉人気をポピュリズムだったという人もいるし、人気次第で選挙結果はオセロのように逆転する、と見るニヒリストも多い。
だがしかし、今回勝った民主党の小沢も鳩山も、けっしてポピュリストではない。疲れていたせいかもしれないが、不機嫌な顔を隠そうともしない小沢が、ポピュリズムとはもっとも縁遠い政治家であることは明らかだ。
だから、国民もポピュリズムに踊らされてなどいない、と思うのだ。夕刊紙の日刊ゲンダイなどは、ふだんの毒舌調は引っ込んで、手放しで「歴史が変わった」とか「これは革命である」などと賛美しているが、こういう捉え方も少しちがうだろう。
国民が求めているのは、今の国民の生活をもっとよくしよう、そのために清廉潔白に改革を進めてゆこうという、当たり前のことを愚直に志向する政治である。ゆえにサイレント・マジョリティが粛々と権利を行使するのである。まあ、あまりに当たり前の、このことがわかっただけでも、この夏にはいい思い出ができた、とそう思う。日本の政治は、わりあいマトモなのである。

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