大地震の後には決まって、「地震を予知していた」という話が現れる。まあ、起きた後なのだから、「予知」とは言いがたいけれど、必ず事後の「予知」なのだ。
曰く、「中国国家地震局の研究員のひとりが、今回の大地震発生を予知していたにもかかわらず、上層部の判断で情報がモミ消された」(ゲンダイネット)とか、「綿竹市で数十万匹のヒキガエルが一斉に移動するという異常現象があった」(時事通信)とかいうものである。どちらもきっとほんとうにあった話なのだろうけれど、必ず事後に明らかになるのだ。
たとえ事後の「予知」でも、これらの話は役に立つ。ただし、「予知」そのものにはあまり価値が無いけれど。
極めつけは、『ジュセリーノの予言』という本をひっさげて来日した、ブラジルの予知能力者、ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏(48)の「予言」だろう。すでに、書店でこの本はベストセラーになっている。
なんでも、ジュセリーノ氏は、四川の大地震を予知して、中国政府に事前に通告していたのだとか。ほんとうだろうか。
氏によると「2008年9月13日、中国トンキン湾か海南島でマグニチュード(M)9・1の地震が発生し、死者は100万人以上に上る。この地震は日本の東海地方で起きる可能性もある」(イザ!の記事)とのこと。さらに、新型インフルエンザのパンデミック・フルー(爆発的流行)や、関東大震災も予知しているのだから、恐ろしい。
気になっているのは、こうした大災害が近く起きるだろうという予言の内容ではなしに、ジュセリーノ氏の予言が、すべて巷間多くの人が語っている話柄に終始していることだ。つまり、氏の予知は、これら、起きる確率の高い災害の羅列ばかりで、瞠目すべき新たな事態を何も語っていないのだ。既存の話題に、「発生時期」を語ることのみが付加価値になっているのである。
いつ原油価格が暴落するのか教えてもらえば、一儲けできるだろうに。もっとも、皆がこの情報を知ってしまえば、意味はない。
なんだか、ジュセリーノ氏の予言に類する話なら、私にもできそうな気がするけれど、それは言いすぎか。なぜといって、起きなかったら、予知が「少しだけ」はずれたことにして、先延ばしすればいいし、きっと、そのうち起きるに違いない。あるいは、そんな予知をしたことを人々は忘れてしまうにちがいないからだ。
忘れたら困るだろうって? いや、忘れていいのである。そのころには、ベストセラーで印税の大枚を手にし終わっているのだから。
まあ、こうした「予知」の能力は、経済学者の予測と大差がない、と言えなくもない。実際、今のドル安や原油高を、数年前まで誰が予測していたであろうか。。。と言うのは言いすぎだけれども。
そういえば、今では省みる人もないけれど、かつては五島勉とかいう人が、日本で16世紀フランスの預言者ノストラダムスの預言書の文言を、解釈(?)して流行らせたことがある。『ノストラダムスの大予言』である。
この『予言』、破局が20世紀末(1999年)に起きる、としたものだから、当時の青少年のメンタルに非常な悪影響を及ぼした。21世紀など来ないかのような記述が、暗鬱な未来を想像させたのである。
地下鉄サリン事件を引き起こした、オウム真理教の信者たちも、たぶんにノストラダムス(の名を利用した)終末論に影響された節がある。ホンモノの16世紀のノストラダムスは、当時、医者を開業して、傍らで占星術を研究していたらしいが、まさか20世紀の終わりに自分が利用されるとは、それこそ「予知」できなかったにちがいない。
そんなわけでいい加減な「予知」は罪深いし、真面目に取り上げるには及ばない。が、ミヤンマーのサイクロンといい、四川省の大地震といい、両方とも、大事な教訓だ。
きっとこのふたつが合わさったものが、東海大地震、あるいは南海大地震の姿だろう。とすれば、日本は災害救助にただちに赴き、実態を把握すると共に、わが国における大地震への対策に適用する必要がある。
さらに、ジュセリーノ氏が(多少いい加減でも)大地震やインフルエンザへの対策を日ごろ怠らぬよう警告してくれれば、これに越したことはない。こうした「予知」はだいたい近い将来、に実現時期が設定されている。まったくいいときに来日してくれたものだ(あ、本は買ってないけど)。
というわけで、たとえ事後の「予知」でも、これらの話は役に立つのだ。(多少はね)
子曰く、人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り、なのである。