ミシュラン・フィーバーはグルメ文化の退行現象?

『ミシュランガイド東京2008』、たまたま知人が持っていたのでパラ読み。
店側のコスト負担もあったと聞くが、カラー写真が豊富で、客観的に言って版元がコスト面で存分にリスクを取った労作だと思う。
神田明神でミシュランの幹部が成功祈願をしたというのも、むべなるかな。
「ミシュラン」というブランド名がなければ誰も失敗が怖くて手がけられない企画だ。


労作だが、しかし良い本なのかどうか。
ぼくは掲載店の少ししか行ったことがないが、それでもどうして「リストランテ濱崎」が星1つで「神田」が3つなのか、さっぱりわからない。
同じような感想を持つ人が多いと思う。
どうしてか。
なんか、「ミシュラン」って洒落っ気がないのである。
ぼくが社会人デビューした頃必須だったのは、文藝春秋の『東京いい店うまい店』。
洒落っ気のあるガイドブックだった。
一流フレンチからラーメン屋やおでん屋まで同じ目線で扱う。
味、サービス、値段にそれぞれ星を付け、味が最高で値段が最低(つまり安い)、味は最高だがサービスが最低(つまり傲慢)なんて評価もある。
コメントの文章も「寒い夜はここのカウンターで熱燗を」という調子。
しかしこの本もバブルがはじけて売れ行きが悪化、毎年版が隔年版となった。
時代も変わり、山本益博など一部の人の評価に頼るより、舌が肥えた個人個人が店を選ぶようになった。
時はデフレ、安くてうまくて気が置けなくて常連になりたい店を、皆は探してきたのだ。
数多く創刊されたグルメ雑誌もそういう路線が多かった。
それは東京のグルメ文化の成熟だったと思うのだ。
ところがだ。
今回のミシュラン・フィーバーはどうだ。
掲載店には突然予約電話が殺到したと聞く。
では今までは何だったのか。
ミシュランに載ったかどうかで行く店を決めるなら、この15年くらいで培ってきた「自分たちが考えるいい店」という基準は嘘だったのか。
そう思うと、ぼくはグルメ文化の退行現象が起きていると思う。
もちろん、ぼくたちがヨーロッパに行くときには「ミシュラン」にお世話になっているのだから、この本は東京に来る外国人のためのガイドブックという趣旨を押さえて評価しないといけないのだろう。
また、かわいい女子に、この本のあちこちに色とりどりの付箋を貼られて目前に差し出されるようなモテ男くんに「いい気味だウクク」とほくそえむ楽しみもあっていいのだろう。
しかしぼくのように「だったらこれからはB級オンリーで行くぜ」と誓うオヤジもいるのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です