20歳で卒業したはずのランボー

ヘーゲルのあとは、当然マルクスのはずで、『経済学・哲学草稿』とか、『ドイツ・イデオロギー』とかを買い直して、読んでいる。いったい何度買ったことか。そのあいだに、岩波文庫版『ド・イデ』の訳者が、古在由重氏から廣松渉氏に替わってしまった。
しかし、まだ早い。ヘーゲルの範囲を少しも出ていないので、少しまわり道をしよう。


たいていの文学青年がそうであるように、大学に入りたての頃は、ランボーをひもといた。そうして、ランボーが20歳そこそこで筆を折っているのに、自分が読んでいるのもおかしなことだ、と思い定め、李賀の「二十歳(はたち)にして心すでに朽ちたり」ではないけれど、読むのを止めるのである。私が読んでいたのは、小林秀雄訳だけれど。20歳を少し出たばかりのヤクザな青年は、ビジネスマンになどなるのは、心すでに朽ちたり、ということだ、などといきがってはいたけれど、その実、何も世間を知らないのであった。
そういえば、ランボーをカバンに入れていることを書こうと思い立って、参考にしようと松岡正剛氏の壮大なブックレビュー「千夜千冊」をのぞいてみたら、「金子光晴のランボオだというところが、ぼくの自慢だった」と書いてあった。小林秀雄ではないのだ。そうして、ランボーがなぜ詩を捨てて世界交易に旅立って行ったかを、「越境」という言葉で表現してある。松岡氏によれば、「ぼくにとっての「越境」は国境を越えることではない。自身の存在の領域から発して、つねに“近く”に向かって越えようとしていること、それがぼくにおける越境である」ということである。
そういえば、近著『日本数寄』の「蔦屋の縁側」という章にも「私は遠くへ旅する者よりも、近くに冒険する者にひどく愛着がある」とあって、何のことかわからなかったが、これで少しは意味が理解できた。ドゥルーズの言う、ノマドと近いだろう(と勝手に思っている)。「ノマドは、旅人とちがってじっと動かない者のことであり、旅立つことを嫌い、自然条件にめぐまれない土地、中部地帯にしがみついた者のことだからです」(ドゥルーズ『記号と事件』河出書房新社)いや、ますます何を言っているのかわからなくなった方がおられるかもしれないな。メタフィジックなので、ご寛容を。
そうして、いい歳をして、今またなぜか、カバンの中に、『地獄の季節』を忍ばせている。こんなものが、ビジネスに何の役に立つものか。ドラッカーでも、コトラーでもなく、ランボーなんて。。。
さて、若い頃に理解できなかった詩句が、やっと身にしみてくるということもある。小林秀雄の訳『地獄の季節』の最後の章はこんな書き方だ。「如何にも、新しい時というものは、何はともあれ、厳しいものだ。俺も今は勝利はわがものと言いきれる」「断じて近代人でなければならぬ。頌歌はない、ただ手に入れた地歩を守る事だ。辛い夜だ。乾いた血は、俺の面上に煙る」
こう書いて、ランボーはアジア・アフリカの交易に旅立っていったわけだ。「越境」だ。徒手空拳で、資本主義と格闘していた、と言ってもいい。20歳過ぎの頃には、怖いものなしだった仕事が、歳をとるにしたがって難問になってゆく、ということもある。目標管理も成果につながらないし、マーケティングを教科書どおり実施したって、モノが売れるわけではない。いや、歳を経るにしたがって、ますますそうなってゆくのが今の時代だろう。ドラッカーも、コトラーも役に立たなくなったのが、現代のビジネスの世界なのだ。
そんなわけで、仕事を始めたころの原点に還るためひもとくと、20歳で卒業したはずのランボーが、はるか時を経て、もう一度沁みてくるのである。頌歌はない、新しい時は厳しいものだ。そこから始めたのだから、何もしょげるには及ばない、と。

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