へべれけ大臣、日本を救う

「大臣、ここはひとつ、あの手でゆくしかありません」大臣秘書が、耳打ちして言った。
「いや、おれは最近、血圧が高くて、あまり酒は飲まないことにしてるんだ。それに、過去、ずいぶんと酒で失敗しているしな。3年前の農相のときの国会答弁だ。あのときも酒と風邪薬で朦朧としてきて、最後は何をしゃべっているのかわからなくなった。考えてみるとあの頃は、政調会長もやっていて、ストレス溜まって飲んでばかりいたんだ。それに小泉内閣のとき、経済産業相をもう1回やれというのも寝耳に水で、もう飲んでしまったあとだった。内閣改造で解任と決まったのに、いきなり再任だからな。あれには参ったよ」財務大臣はあくびをして言った。ゆうべもずいぶん飲んだらしい。


「そこをうまく逆手に使うんですよ。酒に飲まれる大臣、というイメージを使えば、日本を救うため、まさかこんな奇手を使うなどは、どこの国の経済アナリストも気づきませんからね。一気に、日本経済は復活です」秘書があまり口角泡を飛ばして演説するものだから、応接テーブルのシャトー・ムートン・ロートシルトが今にもこぼれそうになった。
「そうかなあ。しかし、ボルドーの2000年はほんとに豊作だったんだなあ。実にうまいよ。でも血圧が気になるから、今日も一杯にしておくよ。一杯じゃあ、全然酔わないんだよなあ。あ、まてよ、これで三杯目だったかな。よく覚えてないな」
「大臣、今日は酔わなくていいんです。むしろ、シラフでいてください。私の話が頭に入りませんからね。いいですか、今度の会議は世界が相手ですよ。自民党内の会合とはわけがちがうんです。つまり、影響力も甚大です。そこで一発大勝負といけば!」秘書がつい力を入れて、ドン! とテーブルを叩くものだから、高価な赤ワインがこぼれてしまった。いちおう、1本15万円ぐらいはする代物なんだが・・・。
「わかった。わかったよ。そう興奮しないでくれよ。あ、ボトルが空いちゃうなあ。もう1本持ってきてくれない?」
「大臣! 私の話を聴いてくれているんですか? いいですか、ここはひとつ大芝居を打てば、日本経済をたった一晩で救うことになるんですよ!」秘書は激昂して言った。これ以上飲まれるとまずいと思い、思わずワインのボトルをつかむと、残りを一気に口飲みで飲み干した。思わず、ふーっとため息をついた秘書に向かい、大臣が言った。
「あ~あ、もったいない。君、ワインの味、わかっているのかね? それボルドーの貴重な2000年ものなんだよ。もったいないなあ。外務省の倉庫から、無理やり調達してきた1級品なんだからね。外国の賓客に出すために、国が金を出して買ったんだから、少しは大事に・・・」大臣が言いかけると、秘書が遮った。よく見れば、目が据わってきたようでもある。
「大臣。だ・い・じ・ん! このワインだって、あなたが首尾よく酔っぱらいの演技を完遂できるなら、全然安いんですよ。いいですか、世界が注目する中で、大臣が、聖なる酔っぱらいを演じて、日本の恥をさらす。醜態を晒すんですよ、世界中に。きっとyoutubeなんかには、すぐに転載されるでしょう。無論、youtube社には事前に根回しして、それが違法な画像掲載でも、しばらく消さないように頼んでおきましょう。するとどういうことになるか」
「どういうことになるんだ?」大臣は、興味津々で身を乗り出した。
「世界の恥さらしになるでしょう」秘書は、こともなげに言った。
「なんだって? 世界の恥さらしに、しかもこの私が、恥をさらすことが、どうして日本経済を救うことになるんだ?」いささか語気を荒らげて、大臣は・・・財務大臣は詰め寄った。
「そこなんです、大臣」ますます目が据わってきた秘書は、ボトルの底に、ほんのわずか残った、シャトー・ムートン・ロートシルトを一気に飲み干した。「世界に恥を晒す。すると、世界中の金融関係者は日本に愛想を尽かすでしょう」
「そうだろう。その、どこが日本の救いになるのかと、おれは聞いているんだ」大臣もだんだん、頭にきたようだ。
「そこですよ、大臣」秘書はもったいぶって言った。「世界中が呆れる。すると、外国為替市場で、円が売られるんです。電機とか、自動車みたいな輸出企業は円高にあえいでいます。ここで一気に円が売られれば、助かるんですよ」
その後、財務大臣は先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に出席し、閉会後の記者会見に臨んだ。会見直前には、昼食会で、秘書官とあらかじめ打ち合わせたとおり、赤ワインを頼むことにした。残念なことにロートシルトはなかったので、1996年のジュヴレ・シャンベルタンだったのだが。
何杯か飲み、特に酔っている気はしなかったので、さっさと歩いて、会見場に入り、日銀の白川総裁の隣に陣取った。「酔ったふり、だったよな」大臣はひとりごちた。秘書が言っていたのは、酔っていなくても、酔った演技だけでよかったのだ。
その後の会見は、いまやyoutubeに転載されて、世界中にさらしものになった。のみならず、新聞紙面を飾る羽目になってしまった。
秘書が言ったように、首尾よく円売り・ドル買いが進行した。円は、およそ1カ月半ぶりに94円台の前半に下落したのである。輸出企業はもろ手をあげて歓迎し、G7は成功裡に終わったのである。
無論、世間はそんな真相には思いも及ばず、大臣の「へべれけ会見」ばかりが取り上げられているのであるが・・・。
※この作品に登場する、人物、団体はすべて架空のものであることをお断りしておきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です