世の中には、いろいろな本がある。いろいろあるものだから、仕事や私生活がうまくゆかず、何をする気も起きない時、役に立つ本さえある。そのうち、希望について書いた本と、絶望について書いた本を紹介したいと思う。
ひとつが、「希望学」という、あまり聞いたことのない学問を、東大の社会科学研究所で研究している、労働経済学者の玄田有史が書いた『希望のつくり方』だ。
この本は、2005年からはじまった研究の成果をコンパクトにまとめた入門書だ。社会科学の研究だから、アンケートから始まり、平均的にみれば高学歴のほうがそうでない人より、正社員のほうが非正社員より、青年のほうが老人より、希望を持っていると答える傾向が強い、などと当たり前の結果も出ている。
詳細に分析すると収入に恵まれているほうが希望を感じやすいが、それは年収300万円前後までだ、ということだ。つまりみんなが300万円以上の収入を確保できる政策を実現すれば第一歩はいい、ということになる。
また、職場の仲間でもなければ家族・親戚でもない友人のいる人ほど、希望を持っている、という結果もある。これはウイーク・タイズ(緩やかな絆)と呼ばれ、アドバイスを得られる少し遠い情報源が大事ということだ。
著者は、「大きな壁にぶつかったときに、大切なことはただ一つ。壁の前でちゃんとウロウロしていること。ちゃんとウロウロしていれば、だいたい大丈夫」という。希望は、無駄とか損とかいう計算の向こうにみつかったりするものだ、と著者はいうのである。
もうひとつは、『絶望名人カフカの人生論』というカフカの翻訳の編著である。だいたい落ち込んでいるときに、希望を語る本ほど胡散臭いものはないだろう。 その点、カフカの言葉には絶望しか出てこない。
「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」「今ぼくがしようと思っていることを、少し後には、ぼくはもうしようと思わなくなっているのです」「おそらく、ぼくはこの勤めでダメになっていくでしょう。それも急速にダメになってゆくでしょう」
これらは皆、恋人に宛てた手紙の中の言葉である。が、読者の我々は、カフカのあまりの絶望ぶりに、これなら自分のほうが少しましか、と思えてくるのが不思議である。
『希望のつくり方』には、魯迅がハンガリーの詩人ペティーフィを引用した言葉が出てくる。「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」何もする気が起きなくなったら、希望と絶望の本を読むのが、きっといい。