ニーチェの言葉

311後の世界に、少し飽きたので、本のことなど。
最近、ニーチェを取り上げる本が多い。
それも、ニーチェの専門家ではなく、まるで畑違いの書き手の作品だ。
有名なのでは、斉藤孝のニーチェ本。それに、ベストセラーがかなり長く続いている『超訳 ニーチェの言葉』だ。
この本、タイトルの頭に「超訳」とついている。「超」とは何か。意訳とはちがうし、抄訳でもないとしたら、実に奇妙なタイトルだ。
中の文章には、「たとえば仕事の場合では、売り上げを伸ばすことだけがたった一つのなすべき目的のように錯覚してしまったりする。しかしそうすることで、仕事をすることの意味は失われてしまう」などというのが出てくる。
「売り上げ」などという言葉を、ニーチェが使ったようには思えないので、こういう訳しかたを「超訳」と名づけたのかもしれない。現代風に、文章をアレンジしたということか。


そのせいかどうかわからないが、この本、「100万部突破」というわりには、ネットの書評ですこぶる評判が悪い。特に、ニーチェ・ファン、哲学ファンの読者からは、およそ駄本に近いこき下ろされかたである。
曰く、ニーチェがそんなことを書いたはずがない(超訳批判?)、あるいは、ニーチェの偉大な著作をこのように切り刻んで原型をとどめないなどというのは許しがたい、ニーチェをまるで誤読している、云々。
しかし、ニーチェは元々、断章形式を好んで用いて書いたので、この本のように、断章をテーマごとに集めてアンソロジーを組むのも、意外とニーチェ的なのかもしれないのだ。それに、ニーチェの断章形式に影響された大作家、大批評家は枚挙に暇がない。
古いところでは、芥川龍之介の「或る阿呆の一生」は、ニーチェにインスパイアーされて書いた、当時としてはとてもモダンなエッセー形式だった。あるいは、ドイツのユダヤ人批評家ベンヤミン、フランス現代思想の批評家ロラン・バルトなどなど。
それに、『超訳 ニーチェの言葉』は、ニーチェ論などはまるで掲載せず、ただただ(超ではあるけれど)訳文を編纂して並べただけだから、批判に値する部分など、あまり見当たらないと言ってもいい。無論、以前からのニーチェ・ファンとしては、それまで読んできたニーチェの偉大な作品を、恣意的に並べなおすことなど、言語道断かもしれないが。
恣意的な編纂だから、ニーチェの独特の鋭い心理学が、かえってよくわかる、とも言えなくもないだろう。たとえば、「嘘をついている人は、ふだんよりもお喋りが多くなる」などという警句、あるいは「多くの人々を納得させたり、彼らになんらかの効果を及ぼしたいのなら、物事を断言すればいい。自分の意見の正当性を、あれやこれや論じてもだめだ」などといった言葉は、もしかしたら、そのままビジネスパーソンの日々の仕事に役立つかもしれない。
「反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向かうような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、急速に頽廃と破滅をうながす」などという言葉は、管理職の座右の銘になるやもしれぬ。
ニーチェなど読んだことのない人には、この本から始めるのも悪くはないかもしれない。
ただし、「ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするための、役に立たない」と語る、永井均という日本の哲学者がいる(『これがニーチェだ』(講談社現代新書))。「どんな意味でも役に立たない。だから、そこにはいかなる世の中的な価値もない。そのことが彼を稀に見るほど偉大な哲学者にしている、と私は思う」というのである。
「もしあなたが、ニーチェに頼って元気が出るような人間であるなら、ニーチェ的批判のすべては、あなたに当てはまるのである」
つまり、『超訳 ニーチェの言葉』の章句に感動を覚えた、何度も読み返した、などという読者には、ニーチェ的批判がもっとも当てはまる、というわけである。実に手厳しい。
のみならず、永井均のニーチェ論は、ネットで『超訳 ニーチェの言葉』を批判している人たちをも、批判の対象にすることだろう。ニーチェに私淑して、あるいは、ニーチェの威を借りて、世界を批判しようとする態度ぐらい、ニーチェ的でないものはないからだ。
ここまで来ると、もうニーチェについては、怖くて何も書けなくなることだろう。
ではここで、ニーチェを、ニーチェ的に書いた作品をひとつ紹介しておこう。これぞ、ほんとの超訳、と呼べる文章なのだ。
出典は、意外にも、村上春樹のデビュー作。「風の歌を聴け」より。
   「昼の光に、夜の闇の深さがわかってたまるか」
記憶で書いているので、ほんとの文章は少し違っているかもしれない。
ツァラトゥストラに原文がある。たしか、「夜の闇は深い。昼が考えるよりも、ずっと」というのが元の文章だったはずだ。ニーチェをもっとも生き生きと訳した断章ではないだろうか。
以下は、蛇足。
『超訳 ニーチェの言葉』は、分厚い本だが、ページ数は230ページほどしかない。しかも、1ページの中で、文字が占める割合は半分ほど、というスカスカの組版なので、あっという間に読み終えてしまう。
紙が、厚くて軽量なのだ。ハリーポッターなど、最近のベストセラー本に多い作りである。それなのに、1700円もする。
これには大いに不満であった。すごく損をした気分になるのだ。
こういう比較をしてもしかたないけれど、岩波文庫の『善悪の彼岸』は376ページで900円(税別)。『道徳の系譜』は216ページで460円(税別)。
どちらも読み応えがある。
『超訳 ニーチェの言葉』を駄本とは呼ばないけれど、中身のつまり具合が、値段とつりあっていないのに、ベストセラーとはずいぶんと不条理だ。
願わくば、「超訳」を読了したら、普通の訳で、『善悪の彼岸』や『道徳の系譜』を読んで、座右の書とすることをお薦めする。文庫なら、読み捨てにしても、またすぐに買えるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です