大連立(311後の世界12)

週刊誌も夕刊紙も、首相退陣近しと見るや、「次は枝野か前原か」と大見出しで書き立てている。まあ、週刊誌や夕刊紙が、内閣不信任決議という格好の記事ネタが終わったら、現金にも次の政権の首班のことを論ずるのは、少しでも潜在読者の関心を高めて買ってもらおうというのだから、これはいい。(そうでなくても、新聞雑誌が売れないのだから、多少は扇情的に書き立てないと)
しかし、国中こぞって政局談義に花を咲かせるようでは、いかがなものか、と思わざるを得ない。毎年毎年、カレンダーではないのだから、首相を新品に取替えないと気のすまない国など、世界のどこの国が相手にするだろう。少なくとも、国と国との約束は、危なくてできないのではないか。
それでも、「次は枝野か前原か」になってしまうのが、今の日本の政治の惨状だ。(「次は福田か」「次は麻生か」などとついこの間まで言っていたはずだが)


無論、私もそうだが、しがないサラリーマンとしては、辞令の紙切れひとつでどこへでも異動になる身の上。新聞雑誌を読んで、政治の世界の栄枯盛衰にわが身を置き換え、悔しがったり快哉を叫んだりして、日ごろの鬱憤を晴らすのはしかたない。
新聞雑誌で悲憤慷慨したあとは、代わり映えのしない(うだつのあがらない、か)日常に帰り、いつまでたっても、いや永遠に重要ポストなど回ってこない、わが身を嘆くほかないのだから。(ここらへんは自分のことを言っているだけです)
しかし、外国人から見てみたら、必ず毎年、首相の変わる、政情不安定な国、というだけのことだろう。
さて、NHKの日曜討論で、民主党の岡田幹事長が与野党の大連立を持ちかけて、びっくりした。びっくりしたのは、大連立を持ちかけたことに対してではなく、野党自民党の幹事長がまんざらでもない反応を示したからだ。
与党から大連立などという普通は使わない手を持ちかけられたら、当然そこに思惑を読むべきだろう。岡田幹事長は、衆参両院における与野党の数のねじれの解消を目指している、というのが正しい読み筋だ。しかし、果たしてそうか。
それかあらぬか、谷垣総裁はさすがに警戒して「今は民主党の権力闘争の真っ最中だ。その結果、何が出てくるのか分からない」(熊本市での講演。時事通信の記事)と言ったとか。
大連立などというのは、とんだくせ球だ。取り込まれたら最後、どんな法案も反対できなくなり、国会論戦も誰が誰を批判しているのかわからなくなる。衆参のねじれはなくなるが、ねじれていなくてはならない与野党まで同じ向きをむいてしまったら、国民はいったいどうやって反対意見をぶつければよいのであろう。
誰も反対できない政治とは、それこそ「空気」の政治なのではなかったか。
というわけで、与野党がお互い相手に似ようとする政治空間は、非常に不健全と思うが、どうだろうか。ねじれを解消するなら、震災対応、原発事故対応が終わってから、堂々と解散総選挙に打って出ればよいのではないか。
ここのところずっと、志と反して政治談義ばかりしてしまったので、次回ぐらいから311後世界の別の姿にも言及してゆきたい。(けど、そうなるかどうか)

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