東電の「空気」(311後の世界7)

まったく何をやっているのだか。
今日(2011年5月26日)のニュースでは大騒ぎ。福島第一原発の1号機で、地震の翌日、海水注入が1時間ほど中断したという今までの報道は間違いとのこと。東電で調べたところ、現場の社員の判断で、海水注入は継続されていたのだとか。
それまで海水注入の中断は、菅総理の指示で行われたとされ、国会では野党の追及の的だったわけだが、まったくの空騒ぎだったということになる。その菅首相に、海水注入は臨界を引き起こす可能性があるという、いらぬ助言をしたのが、班目春樹・原子力安全委員会委員長ということになっていて、さんざんマスコミに叩かれていた。
あらぬ展開に、班目委員長も、困惑顔で「私は何だったんでしょうね」とこぼす始末。
それはともかく、本件を説明した東京電力の武藤栄副社長は、記者会見で、例の一言をしゃべっていた。一言とは・・・


・・・「テレビ会議の通話で、派遣していた職員が総理大臣が判断しないといけないという空気を伝えてきて、いったんは海水注入の停止に合意した。所長の判断で海水の注入を継続したのは、安全に最大限配慮した結果だ」と述べたという(NHKのサイトより)。テレビでも、「そういう空気が伝わってきた」と言っていた。
やはり出た「空気」。
どうやら、日本の経営は、高度なマネジメントや、優れた日本式経営によって担われているのではなく、「空気」で進められていたのだ。
今回の事故では、東電の責任の所在がどこにあるのかわからない、と言う批判があちこちから聞こえてきた。が、経営責任は「空気」が担っているのなら、どこに所在しているのかわからなくて当然だろう。
しかし、テレビ電話の通話を通して、「空気」というのは伝わってくるものなのか。
ここへ来て、日本の基幹産業である東電が、またしても「空気」などという妖怪に操られる存在であったなら、巨大地震や想定を超える津波への対策など、到底望むべくもない、と言わざるを得ない。防潮堤は4mぐらいでいいよね、的な「空気」が一度出来上がってしまえば、慎重なひとりの社員の発言など、握りつぶされてもいたしかたないだろう。
いや、コト危機管理に当たっては、慎重な一握りの意見こそ大事にしなければならないはずだ。ましてや「空気」などという、非科学的で、非現実的な化け物に、経営の場を支配されてはたいへんなことになる。実際、たいへんなことを引き起こしてしまった。
戦艦大和が、まるで勝算がないにも関わらず、当時の軍部の中の、誰も抵抗し得ない「空気」に決定されて、沖縄特攻に向かい、あえなく撃沈されたように、フクシマの惨事は起きてしまったのではないだろうか。
今回は、「空気」の下に隠れた、根本的な不安の気分の分析ではなかったけれど、テレビでいきなり東電の副社長が「空気」を口にするものだから、書かずにはいられなかった。
どうかみなさん、日本の経営者が「空気」を口にしたら、たいへんな間違いをしでかしていないか、注目してほしい。彼が「空気」に操られるような経営者だったら、恐らくその組織は、長くは続かないだろうから。

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