オウンゴールで自滅

せっかく好機をものにして、よい結果が出せたはずなのに、オウンゴールで自滅してしまった。
沈滞ムードが漂っていた日本が、やっと顔を上げて、前進するきっかけができたのに、またもや暗雲が垂れ込めてきた、といっていいだろう。
すべては指揮官の責任である・・・。


・・・というのはサッカー、イングランドとの国際交流試合の話ではなくて、政府与党のここ数ヶ月の迷走ぶりのことだ。
対イングランド戦では、サッカー日本代表チームは、あの短気なルーニーが怒り出すほど善戦した、といっていいだろう・・・それはともかく・・・ついにというべきか、案の定といったほうがよいか、民主党政権は米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)をほぼ原案どおり、辺野古付近に移設したい、と言い出し、社民党の連立離脱という結果に至ってしまった。つい少し前まで、徳之島を有力候補にしたり、その前などは国外移設とまで言っていたのとは大違いであるどころか、誰が見ても大幅な公約違反にちがいない。
当たり前だが、名護市の稲嶺進市長は「実現可能性ゼロ」と鳩山首相に直接、実に率直に返答した。一方では、21日に来日したクリントン米国務長官はさっさと言いたいことだけ伝えると、あっという間に(報道では3時間足らずの滞在で)中国に出かけてしまった。
これでは、訳知り顔の批評家諸氏でなくても、日本はアメリカに相手にされていない、のみならず、ほとんどアメリカの言いなりになっている、とでも言いたくなるだろう。
これでは日本はまるでアメリカの属国か、ただのひとつの州ぐらいの扱いだ。扱いがそうだけならいいが、アメリカの政府の要人は、ほんとにそう思っているのではないか。
だいたい、日本の識者は、日本が米国の属国のような扱いであることを書かないが、言いたくないことは言わないでおく態度であるから、こんな問題も起こるのであろう。
おかしなことに、日本の右派はナショナリストであるはずなのに親米で、左派が反米である。石原慎太郎のように、右派でタカ派で、反米(「Noと言える日本」)なのは、少数派であるだろう。逆に、反米なら再軍備が必要なのに、左派は護憲派で(武装中立、非武装中立に若干のちがいはあるが)、アメリカの軍事力の傘下であることをよしとする右派が憲法改正論者(特に9条2項)というのも同様にねじれている。
これらの論点は、市民社会の論理と、公共政治の論理の矛盾なのだろう。市民社会の論理にとっては、これ以上、日本のどの市町村でも他国の軍隊の基地など容認できるはずがない。軍の飛行機が、毎日頭上を航行するような、安全の脅かされる環境で、生活したくなどないのはあたりまえである。
それはマルクスが『ユダヤ人問題について』で述べたとおり、「安全の概念によって、市民社会はその利己主義を越え出るわけではない。安全とは、むしろその利己主義の保障なのである」(岩波文庫)。市民社会の論理で考えるかぎり、「いわゆる人権のどれ一つとして、利己的な人間、市民社会の成員としての人間、すなわち、自分自身だけに閉じこもり、私利と私意とに閉じこもって、共同体から分離された個人であるような人間を越え出るものではない」のだ。
だから、いきなりそこへ、とってつけたように公共の論理を持ち込んで全国知事会議などを開き、正義を振りかざすかのように、沖縄の痛みを全国民に負担してもらいたい、などと言い出しても、今の日本国民の誰ひとりとして聞く耳などはないのである。たとえ、安全保障上の問題や周辺地域の緊張、抑止力、早い話が北朝鮮の暴発の危機を持ち出したとしても。
とはいえ、世間が言うように、鳩山首相はポリシーもなく定見もない、すなわちオウンゴールばかり起こす無能な政治家なのであろうか。そういえば、東アジア共同体構想も、温室効果ガス25%削減も、はじめ聞いたときはとんでもなく非現実的な政治的空論に思えたけれど。
空理空論はそのとおりであろうけれど、少なくとも、親米右派と反米左派のどちらの矛盾も超越して、理想を語ること自体に間違いはないだろう。今すぐ実現できるかどうかは別として。
一歩進めて考えれば、そもそも不可能な公約で大勝してできた鳩山政権は、マスコミが言うように「公約違反」でただちに退陣すべきなのであろうか。
5月30日(日)のNHKの日曜討論では、民主党の若い副幹事長(名前もよく覚えられない)が、古強者の野党の面々から袋叩きにあっていた。ちょうどこの日が、社民党の連立離脱を決めている最中であったので、連立を組む友党であるはずの社民党さえ、民主党あるいは首相を批判する発言をせざるをえなかった。
大島理森自民党幹事長などは、鬼の首でもとったように、余裕綽々の様子で、「あなたより、わたしのほうが少しだけ国会運営には詳しい」などと民主党副幹事長に笑みさえ浮かべて語りかけていたけれど、テレビの視聴者から見るとトンだ古狸に見えてしまっただけで印象が悪かった。
けれど、この討論、あきらかに民主党の負けである。オウンゴール2発ぐらいはくらっている。それはそうだが・・・
むしろ、蟷螂の斧のごとく、もしくはドンキホーテのように理想を掲げては、むなしく敗れる健気な首相を応援しようという人物の多少なりともいないのだろうか。それは、市民社会の論理と、公共性の論理の板ばさみにあって、往生している、つまりは誠実に働いている証左ではないのだろうか。
と、少しは褒めてあげたいと思ったまでだが、結局、首相にしても、首相を批判する人々にしても、誰も言わないタブーがあるのだろう。それを珍しくきちんと言った日本人はかつてわずかしかいなかった。たとえば、江藤淳とか、『アメリカの影』を書いた加藤典洋など、わずかしか。
『アメリカの影』は、表題のように、戦後の日本政治はことごとくアメリカの影に覆われて、言論にしろ政治にしろアメリカの属国のような状態を強いられてきた状況を活写している。この本についてはいろいろ書きたいのだけれど、長くなるので今はやめておくが。
鳩山首相が、普天間基地移転先を結局原案に戻した理由として、自らの学習が足りなかった、と発言したことにつき、共産党の市田書記局長が批判していた。一国の指導者が、政治的大問題につき、いまさら「学習した」とは何事か、と。そのとおりである。
しかし、うがった見方をすれば、鳩山首相は、政権をとってはじめて日本がアメリカの影に覆われていることを、あらためて知る羽目になった、という情けない話なのであろうか。
そんなことはないだろう。蟷螂の・・・いや、何度でもか細い前肢を振り上げて、分厚いタブーの壁に挑戦することこそ、政治家の役目であろう。岡田外相は、クリントン国務長官に会って、今の日本があまりに分厚いアメリカの影に覆われている惨状に気づき、今動くのは得策ではない、ということを知りすぎてしまったのであろう。
しかし、社民党は連立離脱をしてオウンゴールならぬ、党の存亡の危機に陥るにちがいない。民主党が参院選で大幅に議席を減らすというオウンゴールをくらった以上に。
それに、イングランドだって、オウンゴールで日本に勝ったって、少しもうれしくはなかったにちがいない。いや、自民党なら欣喜雀躍といったところかもしれないが。

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