「もりたく」の言葉に(少し)期待

森永卓郎という経済評論家がいる。
経済評論家というと、やれケインズがどうしたとか、流動性が足りてるとか足りていないとか、日銀金利が○%上がったとか、よくわからないジャーゴン(専門語)を撒き散らして、景気の先行きがどうなるのか占う専門家、といったイメージだ。
中には、謹厳な学者の仮面の下に、とんでもない性癖をもった御仁もいたりして、大学の先生なのに痴漢行為で2度も3度も逮捕されているという、別の意味での有名人の経済評論家もいたりするけれど。・・・いや、こういう経済評論家はレアケースで、だいたいがどこが面白くてこんな七面倒くさい学問をやっているのだろう、と素人は考えてしまうのだ。


が、ここに森永卓郎という経済評論家がいる(しつこいよ)。
彼は他の経済評論家とは一味違うのだ。
だいたい、経済を活性化するには、消費がそうでなくてはならず、だとしたら、消費者がお金を使ってくれなければならない道理で、評論家氏は、皆がお金を使うことを奨励する。中には「流動性選好」とか、わけのわからない専門語で、説明する御仁もいるが。
流動性とはお金のことで、早い話が、不況の時代には将来が不安であるので、金を使わずに貯めこんでおくのが「流動性選好」というわけだ(早い話すぎるか?)。貯めこんでおけば金利もつくわけで、金利が高ければますますその傾向は助長されるだろう。
そんなわけで、景気が悪いときは金融政策で低金利策がとられるわけだけれど、公定歩合を0.5%いじるのにずいぶんと延々と議論がなされるのは一体なぜだろう・・・それは慎重に議論をしているのではなく、議論を本や雑誌に書くことで、原稿料や印税を経済評論家がせしめるためである・・・というのは冗談だが。
他の経済評論家と、どう一味違うのか、という話だった。
「もりたく」とフレンドリーに呼ばれている経済評論家、森永卓郎は、なんと倹約を勧めるのである。お金を使わないと、経済は活性化しないのに、である。「お金は銀行に預けるな」だとか何とか、いい加減なことを言う評論家とは、一線を画しているのだ。
そして彼は庶民の味方である。
ホリエモンや村上ファンドの跳梁跋扈していた時代を、彼はこう表現している。
「私は、この30年間の経済が異常だったのだと思います。まじめに額に汗して働き、社会のために大きな貢献をしている人がちっとも評価されず、単に右から左にお金を動かした人が巨万の富を築いていく。それだけではなく、そのお金を使って企業や人を支配して、自分こそが権力者であり、自分の言うことを聞かない人間は消え去れと言わんばかりに、ふんぞり返る。そんなことが、許されてよいはずがありません」(『年収防衛』角川SSC新書。以下引用は同じ)
ここ10年の金融資本主義の世界を、森永卓郎はこう解説している。
まず、1997年のアジアの金融危機で、ハゲタカと呼ばれる金融機関が、韓国やタイなどアジア通貨を猛烈に売り浴びせた。そのため韓国やタイの通貨当局は、手持ちのドルを売り、必死に買い支えたがかなわず、ハゲタカの手によって不動産や株式を買い漁られてしまったのである。
次にアメリカの意のままに動くIMF(国際通貨基金)がアジア各国に援助という形で資金をつぎ込みに来た。そうすると、今度はハゲタカたちの手持ちの不動産や株式がどんどん値上がりした、というわけである。
そして次に彼らハゲタカが目をつけたのが日本であり、「1998年、まるまる太ったハゲタカが大量の資金をくわえて日本にやってきました」。ちょうどバブルが崩壊したあとで、政府が不良債権処理を進める中で、ハゲタカは不動産や株式を二束三文で買い漁り、日経平均株価が7603円の底値をつけた2003年には、ピークに達したのである。
それからは知ってのとおり、日本の株価は急激に回復したのだが、彼らハゲタカの関心はすでに欧米の不動産に向かっていた。が、「しかし、その過程で不動産の値段が下がり始め、彼らの第1の失敗であるサブプライムローン問題が発生したのです」ということだ。
「そこで、次に彼らが向かったのが資源です。(中略)2007年初頭あたりから1年半くらいかけて、資源を買いあさり大儲けしたのですが、大きな問題を抱えてしまいました。それは、膨れ上がった資金を投じる先がもうなくなってしまったことです」
まあ、別の経済評論家なら、「過剰流動性」とか何とか表現するところを、わかりやすくハゲタカの一言で済ますところが、「もりたく」の真骨頂だろう。
この先が、森永卓郎の議論の特異な点である。彼は「お金が消える」というのだ。「これから何が起こるのでしょう。お金が膨張を続けた後、最終的には資産の価格が暴落して、お金は消滅します」。「バブルの結末はいつも、投機対象の暴落で幕を下ろすのです」ということだ。
森永卓郎によれば、これからまともな世界がやってくるのだ。彼の考えは、基本的に社会民主主義である。そうして、森永卓郎は、景気回復には需要の創造がもっとも大事だという、当たり前の議論をする。
その延長線上で、麻生政権の定額給付金を否定してはいないのであるが、庶民派経済評論家として言うことが一味違う。
「この政策を行うのであれば7~8倍の規模でやらないと意味がないと思います。(中略)内需主導の経済政策に切り替えるのであれば、1世帯50万円ほど出せば支出が増えますから効果があります。50万円は昨年のあぶく銭だけでも十分にまかなえるので、なんの財政負担もありません」というのである(ニュース・スパイラル)http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2008/11/post_147.html
ここから先は、あまり賛成できないのだが、彼は需要の創出にはお年寄りが恋愛するのがいいとか、「生涯恋愛社会」だの、「夢は捨てたほうがいい」とかの議論になる。
住む家は郊外に持ち、車はカローラで、ガソリン代はポイントカードで節約し、電子マネーやクレジットカード、さらには株主優待やマイレージではどれがお得か、といった話が、これでもかというぐらいに続く。よくもこんなに節約術を身につけていらっしゃる、と感心するのだが。しかし、節約ばかり考えていると、実に陰々滅々とした気分になってくる。
今の金融資本主義が崩壊すれば、次なる社会になりやっと、投機家が幅を利かせるような、異常な時代は幕を下ろすことだろう。願わくば、ふだんは節約していても、ハレの日はぱっと金を使って派手に蕩尽する楽しみが待っていた、中世の社会に似た静かな世の中になることを願いたい・・・と思うのは私だけか。
ここで言う中世社会とは、政治学者の田中明彦氏が言うような、アメリカ一国だけが大国であるとする、氏のいわゆる「新しい中世」とは似ても似つかない社会になっていることだろう。
いずれにせよ、森永卓郎は、一貫して庶民の味方であり、小難しいジャーゴンを操って人を煙にまくというようなことはしない(少なくとも、私が読んだ限りでは)。
ここはひとつ、「もりたく」の言葉を信じて、皆、希望を持ってこの大不景気を乗り切りたいと思うのだが、いかがであろうか。
だから、「もりたく」の言葉に(少し)期待、なのである。

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