『座右のニーチェ』斎藤孝(光文社新書)を読む

仕事に役立つ哲学本、メタフィジクスというのはありふれた発想で、現に私も「ビジネスマンのメタフィジクス」などといういつ終わりになるやも知れない企画を、亀の歩みで書き続けている。
斎藤孝先生といえば、大ベストセラー『声に出して読みたい日本語』の作者で、今は『座右の』シリーズが売れている。その1冊に、ニーチェが取り上げられていたので、「おや」と思い、読んでみた。
斎藤先生とニーチェの取り合わせに、意外な感がしたのだ。


この本の副題は「突破力が身につく本」ということで、ジャンルはビジネス書ということになるだろう。内容も、別にニーチェの哲学思想を概説したわけではなく、独特のアフォリズムを選んで、生き抜く知恵にすべく、解説したものだ。
たとえば、「自画自賛力」という章。こんな言葉をニーチェが口にしたのではなく、斎藤先生の言葉なのだ。
ニーチェの『この人を見よ』の「わたしはこの書で、これまで人類に贈られた最大の贈り物をした」という言葉を引用して、「何という自信。自分の本について、このように大絶賛する神経が私は大好きだ」と書く斎藤先生。
きっと先生も自画自賛が大好きなのだろうなあ、と思った次第。
「ルサンチマンから逃れよ」という章。ビジネスの場で、「ルサンチマン」などという言葉を使えば、怪訝に思われるだろう。実際、私はうっかり使ってしまい、何と言い換えればいいか、戸惑った。「嫉妬」のようだが、ちょっとニュアンスがちがう。「怨恨」も変だ。
が、先生は、「嫉妬」としている。「嫉妬は、ニーチェがもっとも忌み嫌うものの一つだ。日本社会をダメにしている要因でもある」
日本をダメにしているのは、嫉妬か、ルサンチマンか、微妙なところだ。
これを克服するには「とりあえず拍手」という手がいい、というのが斎藤先生の答えだ。これはすばらしい案。すぐに実行しよう。
また先生の解説は、しばしばサブカルチャーに言及するのでわかりやすい。「友ならば敵であれ」の例が、「あしたのジョー」のジョーと力石で説明されたりもするのである。
さて、ここまではわりと褒めたけれど、この本の欠点も書いておこう。
まず、ニーチェは教育に適した教材ではないのに、無理やりそうするので、だんだん説教ぽくなってくることだ。曰く「大学一、二年生のときは、バイトやサークル活動に明け暮れ、授業に出ずに遊んでいても、まだ何とかなる。しかし、三年生になったら、自分の進路を決めなくてはならない」などと、ニーチェとは関係ない話になってくる。
それはまだしも、そもそもニーチェが教育的な思想家かどうかが問題だ。
たとえば手近にある本で見ても、『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋)というエッセー集で、内田樹氏は「「超人」について語り始めるニーチェのロジックは思いがけない破綻を来たすことになる。さきにニーチェは貴族の起源を「勝ち誇った自己肯定」だと断定していた。しかし、「勝ち誇った自己肯定」を自己の根拠とする人間が果たして「おのれを高める」というような向上心を持つものだろうか? 向上心というのは、おのれの「低さ」「卑しさ」を自覚したものだけが抱くものだ」
ニーチェが示す理想の超人を目指して、すべての大衆が努力したら、超人だけの世界が訪れるのか。そうではないだろう。逆に、超人が選ばれたものなのだとしたら、普通の人の向上心など無意味だろう。
『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)でも内田氏は書いている。
「ニーチェは「超人」とは「何であるか」ではなく、「何でないか」しか書いていません」「ニーチェの超人思想がこうして最終的にたどりついたのは、意外なことに、みすぼらしく暴力的な反ユダヤ主義プロパガンダでした」
要するに、ニーチェはとても教育的な思想家などではなく、学んで元気が出てくるような哲学者ではないのである。
私が好きなニーチェ本に、永井均氏の『これがニーチェだ』(講談社現代新書)という本がある。
ここで永井氏は「ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするための、役に立たない」と断じています。「どんな意味でも役に立たない。だから、そこにはいかなる世の中的な価値もない。そのことが彼を稀に見るほど偉大な哲学者にしている、と私は思う」
さらにとどめのように、こう書いている。「もしあなたが、ニーチェに頼って元気が出るような人間であるなら、ニーチェ的批判のすべては、あなたに当てはまるのである」
うーむ、これでは実もふたもないではないか。
大衆社会はお互い隣人と同じように振る舞い、相互参照する社会だ。
だから斎藤先生も、「検索ヒット件数というモンスターが見えにくい権力の網の目として張りめぐらされ、君たちを蓄群にしている、というニーチェの声が私には聞こえる」というのだろう。
私はニーチェで突破は出来ないと考えるけれど、まだニーチェに触れたことのない若い人なら、読んで損はない本だろう。

『座右のニーチェ』斎藤孝(光文社新書)を読む」への2件のフィードバック

  1. はじめまして☆
    ブログとても勉強になります。
    ニーチェには善しにつけ悪しきにつけ、なんとも言えない魅力があります。
    実は「ツァラトゥストラ」をめぐる小説を書き始めたところなので
    よろしかったらお越しください。
    ストーリーは
    なぜ生きねばならないか分からない少女と、
    なぜ死なねばならぬか分からぬ少女が出会い、
    「ツァラトゥストラはかく語りき」に
    出てくる「死に関して自由。死に際して自由」という心
    を求めていく。。。というものです。
    http://blog.goo.ne.jp/freiseinmuge/
    これからもお邪魔したいと思います。
    よろしくお願いします!

【ネット小説】FREISEIN(フライザイン)〜死に対して無碍 へ返信する コメントをキャンセル

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