ウェブ時代って、何?

さて、それでは『ウェブ時代をゆく』を読んでみよう。タイトルからして、新しいコンピュータ文化を論じている本だと想像して読んだのだけれど。
そもそも、ウェブ時代って、何だろう。パソコン時代とか、インターネット時代とか、ではなく、ウェブ時代とは。


1990年代後半に、アメリカでは、「PC era is over.」と言われていた。スタンドアロンのPCに代わって、インターネットが登場し、ネットワークの威力が単なるPCをはるかに凌ぐものになってきた、ことを指している。
ウェブというのは、蜘蛛の巣の意で、1990年に英国のバーナーズ・リーが考案したネット上のテキスト・ブラウジングのシステムの名だ。彼の偉大なところは、ウェブのシステムの特許を一切とらずに、誰にでも利用できるようにしたことである。オープンソースの走りのようなものだ。リーナスのLinuxや、ストールマンのGNUなどと同じく、コンピュータの世界の偉大な科学者のひとりである。
・・・とやっていると、どんどんウェブ時代からかけ離れていくのだけれど、ウェブ時代といわれると、コンピュータの世界では、インターネット技術のごく一部を指していることになって、具合が悪い。
オープンソース時代とでも書いてくれるといいのだけれど、ウェブ時代より、もっと通りが悪いだろう。というわけで、インターネット時代の言い換えがウェブ時代のことなのだろう、と解釈して、次へ進もう。こんな議論はいっさい本文には書いてないので。
著者梅田望夫氏は、自他共に認めるオプティミストだ。現代はウェブ(というか、インターネットだけど)という強力な武器を利用して、自由自在に生きることのできる時代が来た、というのが(乱暴な要約だけれど)氏の考えである。
この著書の刊行で有名になった言葉に、「高く険しい道」と「けものみち」という比喩がある。前者は、高い専門性を極めた何千人、何万人にひとりしか歩けない道だが、後者はもっと多くの人に開かれている。「高く険しい道」は言ってみれば、有名なスポーツ選手とか、それだけで食っていける職業芸術家などの世界である。
いっぽうの「けものみち」は、組織に依存しない生き方だという。言葉の字面だけ読むと、フリーターの生き方みたいに見えるけれど、さにあらず、こちらはスポーツや芸術の批評といった、専門家の周辺に位置する生き方である。
というわけで、私は最初、著者が「けものみち」の比喩で、ドロップアウトした若者たちにシンパシーを感じているのかと思っていたけれど、それは甘かった。現代は、ウェブを使って、たとえ地方に在住していても、容易に知識が得られる。だから、「高く険しい道」を歩むこともできるけれど、そうではなくても”努力をうんとすれば”「けものみち」で成功することも可能である、ということなのだ。
だから、努力しないとダメだ、と読めてしまうのである。
『ウェブ時代をゆく』は、リアリズムなのだ。
だから、大組織に向いた人は、そこで生きればいいし、小さな会社に向いた人はいくつも渡り歩けばいい、と言うのが著者の意見だ。
そのとき、もっとも大事なのが、30歳から45歳の15年である、と著者は言う。そして、組織や仕事の注意事項を挙げている。「世の中と比べ、おそろしくゆったり時間が流れてる」組織や、「毎日同じことの繰り返しで変化があまりない」仕事は要注意である。「新しいことを何もしない」ことが評価される社風や、「判断の責任を集団に分散する傾向のある会社」、「その会社に関するプロ」ばかり重用される会社も要注意、とのことだ。
しかし、よく考えれば、これは日本でバブルを境に潰れたり、潰れはしないまでも業績が下降線にある会社の典型であって、ウェブ時代であろうがなかろうが当然の話のような気もする。
つまり、この本は、コンピュータの解説など少しも出てこない、「仕事論」なのである。新しいコンピュータ文化を論じている本だと想像して読み始めた、と書いたけれど、私の想像はまったく誤解であったのだ。
まあ、コンピュータ本ではなく、仕事論の本なのだけれど、著者のオプティミズムのいいところも見えてきた。著者は、若者たちに「ロールモデル思考法」を推奨するのだけれど、その中に、「人を褒める能力」が必要だ、という言葉が出てくる。
ネットの書き込みは、ともすれば、ネガティブなものになりがちである。”炎上”したりもする。だから、もっとポジティブに発言しようよ、というのには同感する。
また、ベンチャービジネスではなく、スモールビジネスを推奨するところも、実に共感した。90年代のアメリカでは、また21世紀はじめの日本でも、ベンチャー起業をずいぶんと推奨していた一時期があった。
しかし、ベンチャーが成功する確率は実に低いのであって、著者はむしろ、スモールビジネスを進めている。「前者(スモールビジネス)はこれまでの仕事や生活の延長で考え得るカジュアルなことだが、後者(ベンチャービジネス)は大きな決心と責任を伴う「期限付きで挑戦するビジネスゲーム」である」とある。
まこと、そのとおりであろう。
ここにおいても著者のリアリズムがよく現れている。
まとめれば、この本はけっしてフリーターの若者に、ウェブ時代の希望を語る本などではない。相変わらずシリコンバレー在住の、ピューリタンの勤勉な生活を模範にとっている、極めてリアリズムの本だ。しかし、いいところはオプティミズムに貫かれていることだ。
勤勉で、オプティミストで、リアリストであること、これがウェブ時代を生きる秘訣なのだ、と著者は語っているのだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です