私の履歴書

日経新聞の最終面の「私の履歴書」というコラム。玉石混交なんだけれど、たまに面白くて身を乗り出す連載がある。そりゃまあ、かつて身を乗り出して読んだのは、「愛の流刑地」だったりしたけど、たまには「私の履歴書」も読むのだ。
たいがい、著者はある程度、年齢のいった登場人物なので、話の内容はといえば、子供時代は自由奔放に育ったけれど、戦争中は苦労した、とか出征して九死に一生を得た、といったくだりが多い。退屈な話だ。それに歌舞伎の何代目とか、企業の最高顧問でかつて豪腕で鳴らした某とかも興味ない。しかし、長嶋茂雄とか、水木しげるとかだと、読まないわけにはいかないのである。


今月は、スタンフォード大名誉教授の青木昌彦氏だ。比較制度分析経済学の世界的な泰斗で、ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人とも言われている。しかし、そんな話はどうでもいいし、まだ出てこない。
青木昌彦氏の真骨頂は、かつて60年安保を指導したブント(共産主義者同盟)の創設者であり、歴史の生き証人であることだ。こう書くのは無論、私が比較制度分析などという高尚な学にとてもついてゆけずに、自分の関心の範囲でモノを見ているからであるけれど。
ブント時代の筆名、姫岡玲治の言われも出てくるし(電話帳で偶然苗字を見つけ、名前はレーニンから取った)、国会突入の真相も語られる。写真には唐牛健太郎が登場して・・・などと書いていると、私が安保世代と勘違いされそうなので、安保世代でも全共闘世代でもない、と断り書きをしておこう。
青木氏が書いた論文「姫岡国独資」が、当時のブントの理論的支柱であったのは有名だ。しかし、氏はその後マル経を捨てて、近代経済学に転じてから世界的な業績を上げて今日に至っている。
しかし、哀しいかな。私の貧しい知識では、氏の偉大なる業績を理解できないのである。きっと氏は、日本とアメリカの企業組織の型のちがいを、ゲーム理論を援用して、あざやかに分析をされているにちがいないのだけれど、情報共有型とか情報分散型とか名づけられても、さっぱり理解できない。
これはすなわち、私がいまだブントの古典的理論から一歩も出ていないことの証拠だろう・・・なんてことはないはずだけれど、「私の履歴書」の戦いの記録が、太平洋戦争ではなく、安保に代わったのは、世代の移り変わりを感じさせるのである。戦後、ある日本人が何をもって戦ってきたのか、ここが重要なところではないだろうか。出世競争だけしてきたような唾棄すべき経済人の履歴書など、読むに値しないからね。

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