日本政治の都市伝説

前回は、安倍内閣のメルマガが、あまりに能天気な書きっぷりだったものだから、つい直球で批判という、大人気ないことをしてしまった。だいたい、メルマガなんて、そもそも安倍首相当人が書いているかどうか、わかったものではない。かなりリライトしているだろう。慶応病院に入院するほどの病状の人が、悠長にメルマガの原稿なんて書き起こしている余裕もなかろう、というものだ。
だから、メルマガを逐語的に批判してみたって、しかたがないのである。


さて、よく酒場などで口にする人がいるのだが、安倍首相の政見はおろか、一挙手一投足がすべてアメリカの意向に沿ったものであり、辞任だってアメリカに「辞めろ」と言われてそうしたのだ、という話がある。日本政治の都市伝説ともいうべき、アメリカ陰謀説である。
まあ、日本政府へは、ホワイトハウスの代理人から電話ぐらいかかっては来るだろう。インド洋の給油は一体どうなるんだ、ストップになったらたいへんなことになるぞ、ぐらいは言われているに違いない。しかし、日本の首相が、アメリカの言うなりに登板したり辞任したりする、というに至っては、妄想の程度も甚だしい、というべきではないか。
しかし、米国ジョージタウン大学の、なんとかいう教授が、アメリカでは安倍首相への評価が高い、と言ったとかいう記事が新聞に載ったりするものだから、他の国の新聞はこぞってぼろくそな評価なのに、「やはりアメリカの。。。」などと言われてしまうのだ。曰く、安倍は明確なビジョンを持ち、ナショナリズム(!)の視点から国民投票法を成立させ、改憲への道を開いた。。。などという業績(?)を評価するのは、まあアメリカぐらいなものだろう。
とまあ、だんだんとまた批判口調になってしまった。実に大人気ない、と我ながら反省している。口が悪いのは、子供の頃からの悪い癖であった。けれど、一言いわせていただくなら、政治家である以上、結果責任が問われるのはしかたない、ということだ。いや、結果責任がどうであったか、という点に限って、安倍首相を評価すべきだろう(アメリカの指示にしたがって辞任した、とかいう世迷言でなしに)。
『職業としての政治』という、有名な社会学者が書いた本があるけれど、そのなかには、倫理を「心情倫理」と「責任倫理」に分けて論じている。前者は単純な平和主義の政治家が述べるような、いわば正義の味方の主張である。
が、政権の座にいる人間は、いろいろ都合があって、心情倫理ばかりはかざしていられないだろう。後者のほうが政治家に求められている倫理であって、そのために採らなければならない手段がたとえ「悪」だったとしても、国民にとって結果的に「善」であるなら、いいのである。
この伝でゆくと、日本が『美しい国』かどうかはさておいて、「政治とカネ」の問題で次々に閣僚が辞任した、とかいう問題は、「心情」に属することなので、あえて等閑視したい。汚いカネを受け取ったとしても、結果として国民にとって「善」である仕事をしてくれればいい。
しかし、年金未払問題に本気で取り組まなかったのは、国民にとって「悪」なので、評価は×なのである。また、インド洋で給油することが、国民にとってどうして「善」なのかどうかを明確に示さないのも、同じように×だ。国際貢献が、日本の国益にかなうのは、いかなる理屈によるものか、明確に示せないなら、税金の無駄遣いになるだけである。ましてや、国際貢献ではなくて、アメリカにだけ貢献、ならばなおさらだ(また、アメリカ陰謀説が出てきそうだ)。
慶応病院に入院するほどの病状の人が、悠長にメルマガの原稿なんて書き起こしている余裕もなかろう、と書いたけれど、症状は、機能性胃腸障害なのだそうだ。こんな病気なら、私もしょっちゅうかかっているが、いまだかつて入院したためしはない。薬も、「胃もたれの薬、胃の酸の分泌を抑える薬などが中心」と主治医が答えている。これって、太田胃散とか、キャベジンコーワの類ではないだろうか。この程度の薬なら、私はもう飲まない(飲んだって、酒飲んで、元の木阿弥だ)。
税金で胃薬を飲むためだけに入院、という不可解な行動を目の当たりにした人の中には、アメリカの陰謀であると言いたくなる人間が出てくるのも、やむをえないかもしれない。しかし、それでも単純に結果責任を果たしているとは、とても言いがたいと思うのだが、私がアメリカの力を見くびりすぎているのであろうか?

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